Author :いちた
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| 武陵農場から望む雪山の山頂部 |
「本島北方の雄鎮たる次高山は其位置の餘りに僻在して而も山脚附近には兇蕃の久しく跳梁せしより従來人跡未踏の山地として實相を究むるものなく、只崇高なる雄姿を遠望するに過ぎず、當局に於ては曩に蕃界整理上大概の高山は皆地形測量を施行せられしが獨り此山に限り蕃情の關係と斷崖絶壁の多きとを以て最後まで取殘されたりき。」
(山岳 第二十二年 第三號より)
4月9日 台北から宜蘭へ
台北桃園国際空港に着陸したのは深夜1時過ぎだった。そのため、預け荷物の40リットルザックを回収してからまず始めにするべきことは、仮眠をとることだった。
第一ターミナルの建物を出ると、心地よい夜風が吹いていて、外気温も快適だった。バスの停車場に使われていないベンチがあったので、マットを敷いて横になったが、すぐ下の幹線道路を走る車の音がうるさくて寝付けない。
私はもう一度ターミナルの中へ入った。手荷物預け所から離れたところにいくつかベンチが並んでいる。ベンチはすべて先客によって埋まっていたが、すぐそばの床に横になれそうな空間を見つけた。ようやく眠れそうなので安堵する。しかしその素晴らしい、親密な感じのするリノリウムの床で寝ていると、制服を着た女性にゆり起こされた。どうやら隣接する壁に何らかの機械の操作盤があって、私がいると非常時の邪魔になるようなのだ。
すると警備員は窓際の小高くなった場所を示して、「どうぞあちらでお休みになってください」と言ってくれた。そこは私の折り畳み式マットを広げるのにぴったりの広さがあり、床よりもやや清潔で、キャリーケースに轢き殺される心配もなかった。私は熟睡した。目が覚めた時、自分が台湾にいることに驚いて、言いようのない喜びに包まれた。
さて、朝になったらやるべきことが目白押しだ。台北ドルへの両替からはじまり、宜蘭の宿泊所で眠りにつくまでの一連の手続きをこなさなければ、今回の登山は失敗してしまうかもしれない。だからとにかく面倒くさいが、寝床を出ていかなければならなかった。
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| コロニアル建築の傑作、旧台湾総督府 |
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中正記念堂での衛兵交代式
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この国を訪れるのは初めてだ。(※1)
台湾総督府や中正記念堂を見学し、三越台北駅前店で食事をしてから、重要課題である地図とガスカートリッジの購入に向かう。台湾の山岳地図については、事前に神保町の本屋を探し回ったがどこにも売っていなかったし、ガスカートリッジは飛行機に持ち込むことができないので、現地で購入せざるを得ないのだ。
台北駅の東側にアウトドアショップが並ぶ区画があり、ガスカートリッジはどの店でも買うことができた。種類も豊富で、私は「高地寒冷地用」と書かれた性能の高そうなやつを買った。しかし地図はどの店にも売っていなかった。私は日本から持ってきた印刷の粗い、等高線の潰れかかった地形図を使うはめになってしまった。
続いて日本から持ち込めなかった分の食料を調達した。台北にはそこら中にセブンイレブンやファミリーマートがあるので便利この上ない。台湾らしい商品も数多くあるが、日本のコンビニと同様のパンやお菓子も売られている。
台北駅で用事を済ませると台湾鉄道に乗って宜蘭へ向かう。私は日本から台湾鉄道の公式サイトで事前に席を予約しクレジットカードで支払いも済ませていたので、台北駅の無人券売機で乗車券を発券した。私が乗ったのは自強号といういわゆる特急列車で、宜蘭まで約1時間20分で到着する。
台北駅で買った排骨飯の弁当を食べながら窓の外を眺めていると、台湾が南国であることを意識させられた。植物の様子からそれを感じる。ジャングルとまではいかないが、日本の森林と比べると植物が大きく、密度が高く、鬱蒼としている。建物はその中に埋もれるようにして建っている。
宜蘭は台湾北東部にある地方都市で、雪山山脈や中央山脈北部へのアクセスに優れている。今日はここで宿泊し、翌朝バスに乗って雪覇国家公園へ向かう行程である。宜蘭駅へ着くとまずは翌朝に乗るバスの乗車券を買いに宜蘭バスターミナルへ向かった。台湾鉄道の宜蘭駅から宜蘭バスターミナルはやや離れているため移動に15分ほどかかった。駅を通り抜けていく近道があるらしいが、私は見つけることができなかった。
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| 宜蘭バスターミナル |
バスターミナルにはいくつかの交通会社の有人カウンターがあった。國光客運のカウンターで乗車券を買おうとすると、君は悠遊カードを持っているかと訊かれた。カードを見せると、そのカードが使えるから乗車券は買わなくて良いと教えられた。すべての便が対応しているのかは不明だが、宜蘭ー梨山間を運行する國光客運1751便は悠遊カードを使用して乗車できることがわかった。
宜蘭駅から徒歩5分のところに約3000円で泊れる宿があった。部屋に入って荷物を整理していると、同室の男性が話しかけてきた。その人は観光のために台湾を訪れている少し年上のシンガポール人だった。彼は明日自転車に乗ってどこか海沿いの町へ遊びにいくのだと言った。私は山に登るために日本からきたのだと話すと、「君は中国語が話せないから、台湾を旅するのは大変だね」と言われた。私はなんとなく空しい気持ちになった。なぜなら私は日本語ですら他人とうまく話せないので、世界のどこにいようがほとんど変わりないのである。
私は彼から一緒に市場へ行かないかと誘われたが断った。とても眠いからもう出歩きたくなかったし、そこで食事をしてお腹を下したりすると、計画に支障が生じるからである。体調には万全の注意を払わなければならない。
4月10日 宜蘭から登山口へ 入山して七卡山荘に宿泊
4時に起床してマクドナルドで食事をし、陽が昇ったばかりの静かな宜蘭の町を歩いてバスターミナルへ向かった。
1751便のバスは5番乗り場を5名の乗客を乗せて7時30分に定刻通りに出発した。座席にはなんとUSBポートがあり、スマホの充電をすることができた。バスは一度トレイ休憩のために停車した後、11時過ぎに武陵農場へ到着した。敷地へ入る前に乗客は全員下ろされて、農場への入園料の支払いを求められる。入園料は160元で、現金にしか対応していないように見受けられた。支払いを済ませると皆は再び乗車して、少し進んだバス停で私は下車した。
武陵農場は戦後に退役軍人らによって開墾された農場だが、高原にある自然豊かな土地のため、現在は観光客が訪れる避暑地となっている。
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バスの時刻表
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バス停の前に武陵農場旅遊服務中心という売店あり、軽食やお土産を売っている。近くにキャンプ場があるからかガスカートリッジも売られていた。私はここで紅茶味のアイスクリームを食べてから登山口に向けて出発した。武陵農場バス停から雪山登山口までは7.5㎞の車道を歩いていく。車道とはいえ美しい川沿いの森を通る、歩いていて楽しい道のりである。3.5㎞ほど進んだ所で雪山登山口の看板が出てくるので左折した。ここからはつづら折りに高度を上げていき、途中でキャンプ場を通過する。
登山口にある雪山登山口服務店に着いたのは13時頃だった。これはいわゆるビジターセンターのような建物で、ささやかな売店も併設されている。私はカウンターの中にいた係員に入園許可証を提出した。係員はハンコを押して、これで大丈夫だよ、というようなことを言った。私は何か訊かれることを懸念していたので、簡単に受理されてほっとした。
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| 雪山登山口服務店 ここで入園許可書を提出する |
近くのベンチに座ってスニーカーから登山靴に履き替えていると、観光客のおじさんやおばさんが声をかけてきた。私が拙い英語でこれから雪山に登るのだと話すと、ぜひ持っていきなさいと言って、果物やパンやお餅をたくさんわけてくれた。私はコンビニで買った面白みのない食料ばかり持っていたので、この思わぬ差し入れは大変ありがたかった。お返しに何もあげられなかったのが心残りである。
登山口からは中央山脈に属する山々、台湾第5の高峰である南湖大山(3742m)や、三角錐の鋭鋒である中央尖山(3703m)の山頂を霞んだ空の彼方に見ることができた。あれらこそ、私が次の遠征の目標とする偉大なる山々なのである。しかしテント泊での長い行程を組む必要があるので、東京のしがない会社の窓際族である私にとって、実現は容易ではない。
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南湖大山主峰と思われる山
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今日はこの標高2140mの登山口から、標高2463mの七卡山荘へ登るわずか2㎞の道のりを歩くだけだ。道はとてもきれいに整備されており、日本の一般的な登山道と変わりない。1時間弱で七卡山荘に着いた。
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| なんと100mごとに登山口からの距離を示す杭が打たれていた! |
七卡山荘は収容人数100人程度の大きい小屋で、2棟に分かれた寝室、調理室、トイレ、更衣室、管理人の事務所で構成されている。私が訪れた時にはフレンドリーな管理人が常駐しており、寝室内の私の使用すべき区画を教えてくれた。小屋が空いているから二人分のスペースを使って良いらしい。
この小屋には布団や食事の用意はないからシュラフと食料と燃料は持ち込む必要がある。小屋に水場が併設されているので水は無料で好きなだけ汲める。わかりやすく言うと、事前予約が必須の避難小屋といったイメージである。
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| 七卡山荘 |
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| 私が寝ることを許された区画 マットとシュラフは持ち込み必須 |
私が着いた時には管理人の他には誰もいなかったが、夕方になるにつれ下山してきた人たちと明日山頂へ登る人たちの双方の宿泊者が増えてきた。
調理室で「高所寒冷地用」ガスを使ってお湯を沸かしていると、そのうちの一人が声をかけてきた。彼女は私が食べようとしていたモンベルのアルファ米に関心を持ち、いったい幾らするのかと訊ねてきた。だいたい400円くらいだと言ってもうまく伝わらない。特にそれが台湾のお金でどれくらいになるのかを説明するのに苦労した。とにかく言葉が通じづらいというのは困ったものだ。隣で見ているとその人たちは長崎ちゃんぽん風のずいぶん凝った料理を作っていた。
私は明日の朝も夜も明後日の朝もアルファ米ばかり食べなければならないことに気づいてうんざりした。今回の登山は食べ物より優先して考慮しなければならない問題(※2)が山ほどあり、気の利いた食事を考える余地がなかったのだ。
夕食を終え翌日の荷物の準備をしてもまだ18時前だったけれど、何もやることがないのでシュラフに入ってすぐに寝てしまった。
4月11日 雪山への登頂 山荘までの下山
深夜1時にスマホのアラームが鳴った。私は極めて迅速に起き上がり、シュラフを仕舞い、誰もいない調理室でお湯を沸かしアルファ米を胃に流し込み、登山靴の紐を結びザックのウェストベルトを締めた。ザックの中には食料と水と防寒着とレインウェア、それからストックとビバーク用の装備が入っている。その他の物はいらないから小屋へ残していこう。ヘッドライトを灯して小屋を出発したのは2時前だった。
小屋から先は、北西に向かって一気に標高を上げていき、前衛峰である3201mの雪山東峰を目指す。登山道ははっきりしているので、真夜中でも道迷いをする懸念は非常に少ないように感じた。
1時間ほど斜面を詰めて雪山東峰へ続く尾根へ乗り上げると、途中で休憩に適した平らな土地へ出た。そこに立っていた看板を頑張って読んだところ、この近辺は「哭坡」という険しい坂になっており、高山病になるリスクがあるためゆっくり登ることが推奨されているようだった。しかし私はとても調子が良かったし、早く主峰へ登りたかったからその指示を無視してさっさと先へ進むことにした。
やがて私は東峰へ直登する道とその北側を巻いていく道との分岐に着いた。迷わず東峰の山頂へ向かう。歩きやすい草地の中をしばらく登ると、3時51分に雪山東峰の山頂へ着いた。3201mといっても、3000m峰がひしめく台湾の中ではありふれたの高さの山であり、特別感はない。辺りに高い樹木はなく視界が開けているようだが、あいにくまだ真っ暗なので景色は望めない。ただ闇の向こう側を霧が流れているのがなんとなくわかる。
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立派な標識です
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東峰の山頂は風が強くて寒かった。私はレインウェアを羽織って手袋とネックウォーマーを付けた。本当はここで日の出を待つことを計画していたが、体温が急速に奪われるので、留まらずに下ることに決めた。
次の経由地は東峰と主峰の中間地点にある三六九山荘である。この小屋は現在再建工事中で使用することができない。元々2026年に工事が終了する予定だったが、工期が伸びていつまでも完成する目途が立っていないらしい。臨時のテントサイトが設置されているので、今でも事前に申請すれば、この場所に泊って一泊二日で主峰へ登る計画は立てられるようだ。
東峰から三六九山荘に向けて暗闇の中を下っていくと分岐があった。主峰へ続く道と山荘へ続く道へ分かれている。閉鎖中の山荘へ立ち寄っても無駄なので主峰への道を選んだ。
次第に、薄っすらと周囲が明るくなってきて、私は草原のような場所を歩いていることがわかった。東峰を下り切ると再び登り傾斜の道になった。ここから先は地図上で「黒森林」と書かれた樹林帯になっている。森へ入る手前の斜面から足元に岩が転がるようになった。草地からいきなり大きな森の中へ入るため、私はなんとなく威圧的な感じを受けた。それでもやはり道は明瞭だったので、ペースを落とさずにどんどん登った。
森の中を歩いているうちに、とうとう陽が昇ってきた。
ここまで早いペースで歩いてきたので、少し休憩することにしよう。岩の上に座って行動食のベルギーワッフルを食べる。明るくなっていく周囲を見渡して、自分がとても奇麗な森の中にいることを知った。ここは台湾固有種のニイタカトドマツの原生林。「ニイタカ」とは台湾最高峰である玉山(3952m)の日本統治時代の名称からとられている。台湾の山岳地帯はトドマツの生息域の南限だと言われている。
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| 樹高が高い 20~30mはあるようだ |
突然、前方20mほど先の木々の間から、鹿のような動物が二匹飛び出してきた。私がカメラを構えようとする前に、そいつらは素早く繁みの中へ消えてしまった。後から調べてみるとキョンという動物であることがわかった。彼らは中国や台湾を原産としているが、日本にも外来種として流入しており、特に房総半島に大量発生しているらしい。ご覧になりたい方がいましたら、どうぞ、房総半島を訪れてください。
私は森の中を登るにつれ、少しずつ体の重さを感じるようになってきた。(※3)地図によると標高は3300mを越えたと思われる。その頃には木々の向こうに、迫力のある稜線が見えるようになっていた。あれは雪山から凱蘭特崑山へ続く稜線の一部に違いない。まだかなり登らなければならないようだ。
石の堆積したガレ場を通り過ぎると、岩の隙間から水が溢れ出している箇所があった。常に使用できるのかは不明だが、ここで水分の補給ができる。森の中には他にも水が採取できそうな場所があったので、この辺りで遭難しても、水が枯渇して苦しむという事態は避けられそうだ。
足元の岩にアイゼンの爪跡が残されているのにも気付いた。雪山は冬のごくわずかな時期にだけ、文字通り雪に覆われた山になる。けれども亜熱帯の台湾では、雪はすぐに溶けて無くなってしまう。私の訪れた4月には、雪はどこにも残っていなかった。
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| 突然森の中にガレ場が現れる |
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| 水を汲める場所もあった |
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| アイゼンの爪の跡 |
やがてトドマツの森が終わり、急に視界が開けて明るくなった。ようやく3500m付近の森林限界を越えたのだ。なだらかな斜面の先に稜線が広がっている。私はしばし立ち止まり、爽やかな景色に見とれていた。
6時40分に雪山1号圏谷の底部へ着いた。このお椀状の地形は氷河期に氷河の浸食作用によって形成されたもので、成り立ちとしては日本の涸沢カール等と同様のものである。そして雪山の東面に広がるこのカールは、台湾にある圏谷の中で最も大きいものだと言われている。(※4)
地図によると雪山主峰の山頂は、このカール壁の最高地点に位置している。
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| 圏谷底部から山頂方面を望む |
圏谷の上部は雲に覆われているが、上空を流れる素早い風が所々で雲を吹き飛ばし、青空を覗かせている。私は圏谷の南側の斜面を尾根に沿って登っていった。登るにつれて体の動きが緩慢になり、もはやこれまでのペースを保って進むことは不可能だった。足元は砕石の堆積したガレ場となり、その上をハイマツが覆っている。情けないことに、私は何度も休憩を交えつつ登らなければならなかった。少し歩いては立ち止まり、石とハイマツの上の自分の影を見つめながら、呼吸を整える。そしてまた歩き出すということを繰り返した。
やがて傾斜が緩やかになったので、完全にカール壁の上に乗り上げたことがわかった。そして壁の最高点が近づくと、ハイマツの先に山頂を示す岩の標識が現れた。私はゆっくりと歩いていき、7時44分に3886mの雪山主峰に登頂した。時間を記録し、岩の土台に腰掛けて長い休息をとる。私の他には誰もいない。山頂はとても静かで、風がレインウェアをはためかせるパタパタという乾いた音だけが聞こえる。周囲を霧が勢いよく流れている。
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| 山頂を示す岩の標識 |
カールの上を歩いて少し北へ進むと、雪山のもう一つの山頂である北稜角が望まれた。北稜角は一つの独立した山のように見えた。
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| 主峰の山頂から望む北稜角 |
私はまずカール壁をトラバース気味に下りていった。二つの山頂間のコルへ着くと、今までよく見えなかった西側の景観が開けた。光と霧のベールの向こうに、遥か彼方まで山々が連なっている。広大な雪山山脈、美しい聖稜線……。
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| 西側の景観 |
私はコルから一気にせり上がった斜面を登っていった。険しい所には古い残置ロープが垂らされている。落ちたらただでは済まない場所なので注意深く登った。激しい運動ではないのに、ひどい息切れがする。
岩場を登り詰め、ハイマツを回り込むと、そこが北稜角の山頂だった。石の間に金属製の山頂プレートが挟まっていた。時刻は8時27分。予報によると夕方には天候が崩れる可能性があるものの、それまでには余裕を持って小屋まで下ることができるだろう。
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| 記念撮影 |
私は圏谷底部へ戻るために、まずコルへ向かって下降し、再び主峰の山頂を越え、登りと同じルートを逆に辿っていくことにした。鞍部から直接下ることもできそうだが、ガレ場で足元が悪く、滑落したらひとたまりもないだろう。ところが主峰へ登り返している間に非常に気分が悪くなってきた。なんだか胃が気持ち悪く、頭を横から締め付けられるような痛みがし始めた。
私はまたもや何度も立ち止まり、休みつつ登り返さなければならなかった。
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| 北稜角から望む主峰 |
主峰を乗り越えて圏谷底部まで辿り着いた時には、立っていることがままならず、私は地面に横たわってしまった。珍しい緑色の鳥が近くを飛んだり歩いたりしていたが、残念ながら気力がなく写真を撮ることができなかった。水を飲んで10分くらい眼を閉じていると、気分がましになったので起き上がった。
陽射しが強く耐え難いように感じたので、トドマツの森の中へ下っていった。しかしまた森の中でも、私はだらしなく地面に寝そべって休む必要があった。私は早いペースで登ったことの報いを受けているのだと思う。
この状態を脱するにはとにかく標高を下げることが肝心である。私はストックで体を支えながらのろのろと下っていった。やがて森を抜けると、登る際には暗くて見られなかった、三六九山荘周辺の草原地帯の様子が明らかになった。空は晴れ渡り景色は爽やかで風は心地よくいかにも申し分なかったが、吐き気がするので早く下りたい一心だった。
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| 中央に見えるのが閉鎖中の三六九山荘 |
日本の高山においては4月といえば涼し気な雪景色の世界だが、この台湾の山は初夏のように暑い。草原を抜けると広葉樹の樹林帯へ入り、日陰の中を快適に歩いた。帰りは東峰には寄らずに北側の巻き道を通っていくことにした。登山道には台湾原産のニイタカシャクナゲがたくさん生えていて、上品な白い花を咲かせていた。
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| ニイタカシャクナゲ |
だらだらと木々の間を歩いていると、歩荷をしているタイヤル族の男性に追い抜かれた。彼は私を励ますように明るく声を掛けてくれて、確かな足取りで先へ進んでいった。私は具体的に何と言われたのか、わからなかったけれど、ただこのまま下り続ければ良いのだと思い、心が安らかになった。またそのことによって、自分が過度に神経質になっていたことに気づかされたのである。やがて哭坡へ着く頃にはさっきまでの苦しみがまるで嘘であったかのように元気になっていた。
14時30分に七卡山荘へ帰り着いた。小屋の管理人へ山頂まで登ったことを伝えると一緒になって喜んでくれた。それからアルファ米を一袋食べて、陽が沈む前に就寝した。
4月12日 登山口までの下山 日本への帰国
3時に起床して、またもやアルファ米を食べて、4時前に小屋を発った。 2日前に登った歩きやすい登山道を下っていくだけだから、気楽なものである。1時間足らずで雪山登山口服務店へ到着した。まだ夜だから辺りには誰もいない。建物の前に雪山圏谷の気圧や気温を示す電光掲示板が設置されていた。
武陵農場へ向かう途中にアスファルトの道路の上で休んでいると、東の空がじわじわと淡く明るくなった。それと共に南湖大山の大らかなシルエットが浮かび上がってきた。ずっと眺めていたいけれど、早くバス停まで下りきってしまいたいという気持ちにも苛まれる。
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| 南湖大山主峰 |
南湖大山はいつしか木々の梢に隠れて見えなくった。あの山には近いうちに登ってみようと、改めて自分に言い聞かせる。キャンプ場を通ってさらに農場へ近づいた時ふと後ろを振り返ると、今度は桃山の秀麗な姿に気を惹かれた。2日前にも目にしていたのだが、その時よりも空気が澄んでいて山の形が良くわかった。
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| 桃山(3323m) |
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| 川沿いの道を歩く |
7時にバス停に帰ってきた。武陵農場から宜蘭へのバスは1日に9時18分発と14時18分発の2便しかないため、一つ目の便を逃すわけにはいかない。それで私はこんなに早く下山したのである。
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| 猫がいました |
バス停のベンチに座っていると、登山の恰好をした女性に日本語で声を掛けられた。今回の旅の中で初めて日本語が通じたことに感激しつつ話をすると、この人は雪山東峰から下ってきた、台北在住の日本人であることがわかった。
我々は9時18分発のバスに乗り込んだ。
「南湖大山はどんな山ですか?」と私は訊ねた。
「難しい山なので、私は行ったことはありません。ですが台湾のハイカーでも、あの山が一番好きだという人は多いですよ」とその人は言った。他にも台湾の山や登山事情について色々と教えてくれた。
宜蘭バスターミナルに着くと、彼女は眠気でうつらうつらする私を引き連れて街の中を歩き、ローカルな料理屋を探し出した。そこで私に美味しい台湾料理を奢ってくれた。お金を払おうとすると、「以前バックパッカーとして世界を旅していた頃に、いつも同じようにしてもらっていたから、これはそのお返しなのです」と言って断られた。私は少し気が引けたが、純粋な親切心をありがたく受け取ることにした。
私は宜蘭駅でその人と別れて、台湾鉄道で台北へ向かった。
その日の夜の航空便で東京へ帰ってきた。
家に着いのは深夜3時だったが、7時に起きて、いつも通り出勤しなければならなかった。家から職場までの果てしない道のりについては、とても涙なしには語ることができない。それは雪山主峰への最後の登りよりも、はるかに辛く苦しかった。
【訳注】
※1
エドワード・ヤンのいくつかの興味深い映画を見て、私はこの国に関心を持った。
※2
あとから思い返すと、考えるべきことなんて、そんなにたくさんはなかったような気がする。
※3
筆者は2024年にボルネオ島にあるキナバルに登った際、高山病を防ぐための助言を受けた。それは、登頂前に標高の高い地点に滞在すること、水分を多量に摂取すること、そして、とにかくゆっくり登るということである。今回、筆者は自分が高山病になるなどとは考えもしなかったので、これらの教えをすべて無視して適当に山を駆け上がったのである。
※4
台湾の高山における氷河地形については、博物学者の鹿野忠雄による研究が重要である。この若い不世出の学者は、台湾における最初期の近代登山者のひとりでもあった。彼は幾度も雪山に登り、そこで多種多様な氷河の痕跡を発見した。緯度の低い台湾の山にも氷河が存在したという見解は、当時としては画期的なものだった。鹿野は台湾各地で地質学、植物学、民族学といった様々な分野に功績を残し、戦時下のボルネオ島にて38歳で消息を絶った。
彼は1926年、19歳の時に初めて雪山に登頂した際の印象を、こんなふうに記している。
「僕は太陽の輝く寒い此の絶巔に立つて、此の周圍を取念いて起伏する山脈、其の奔放な波濤のうねりを貪りて見た。風一つない静かな日、太陽の晴れやかに照し出した、悠久そのま丶の天地、熱帶國に於ける光の境土を、肌寒い冷氣を感じながら眺めた……自分の短い一生に於て又再び此の絶頂に見ゆる事が出来るかどうか測り知れない、と思ふと勇氣のほとばしり出るのを感ずる」
各種情報
【雪山の概要】
山名:雪山(せつざん/Xue Shan)
旧称:シルビヤ山/次高山
標高:3886m
初登頂:1915年、大日本帝国の測量技師である財津久平らが登頂に成功。
用いたルートは今回歩いた雪東線と重なる。
【アクセス】
宜蘭バスターミナルより國光客運の1751便(宜蘭↔梨山)に乗車し、途中の武陵農場にて下車する。所要時間は約2時間30分〜3時間。バスは往復で1日に2便が運行している。
〇宜蘭発:7時30分/12時40分
〇武陵農場発:9時18分/14時18分
バス停から登山口までは舗装路を7.5km歩く。
【入園許可】
台湾の高山へ登るには所在地の国家公園に事前の入園許可申請が必要となる。申請はインターネット上のやりとりとメールの送受信で完結する。申請の流れは以下の通り。
①「臺灣登山申請一站式服務網」(https://hike.taiwan.gov.tw/web_index.aspx)より「雪覇国家公園」を選択し、ルートと入山日を入力する。
→サイトは日本語で表示することもできるが、雪覇国家公園は中文で表示したページからしか選択できない。
②詳細情報の入力画面へ移行するので、住所、バスポート番号、緊急連絡先、メールアドレス等の情報を入力する。
③申請を受け付けたことを知らせるメールが届く。→筆者は登山中の連絡先に日本から持ち込むスマートフォンの電話番号を入力したところ、国家公園の担当者より、その番号が台湾で通じることを証明するか、連絡が通じる端末を所持することを明言しなければ、入園許可を出せないとのメールが届いた。国際ローミングを使用することで台湾でも連絡が可能である旨を回答すると、後日入園許可が下りた。
④入園許可が下りたことを通知するメールが届く。
⑤入園許可証を印刷する。許可証は④の入園許可通知メール内のリンクより、入山日の1か月前から印刷が可能になる。
→登山口で提出するものと、山行時に持ち歩くものの2枚を印刷すると良い。
なお、以前は入園許可申請の他に別途警察への届け出が求められたようだが、2026年現在は入園許可申請に一本化されている。