Member :パイセン、みっつ、みずき、いちた
Timeline :9:20 駐車場発 →11:50 西岳山頂 →14:30 星穴岳山頂 →18:30 駐車場着
Author :いちた
第一章 はじめての妙義山
なんでも西上州に妙義山という、たいそう危ないお山があって、週末になるとアドレナリン中毒の登山者どもがこぞってよじ登り、虫けらのごとく次々と滑落していくのだそうだ……。
そんな恐ろしい話をいつ耳にしたのかは忘れたけれど、車窓から妙義山の険しい山体を見た時は納得した。これほど険しい岩峰の並ぶ山は珍しいからだ。それに町から近いのにスケールが大きい。星穴岳はそんな妙義山系の一部だが、経験豊富な者と登れば簡単で、愉快な空中懸垂を楽しめる山だと聞かされていた。サクッと登ってロープで遊んで帰ってこよう。私たちはそんな気分で中乃嶽神社前にある駐車場に車を停め、50メートルロープ2本を背負って出発した。
神社の階段を登って鳥居をくぐる。さすがは我らが妙義山、神社の階段までが急峻である。そこから少し行くと石門との分岐につきあたる。大きな看板が立ててあり、こんなことが書かれていた。
注意!
ここから先の登山道は、大変危険な岩場があり、滑落事故が発生しています。
ザイル等装備のない方、登攀技術のない方は、立ち入らないでください。
(登攀:ザイル等を使って登山すること。)
私たちはヘルメットを被り、先へ進んでいった。
第二章 星穴岳登頂
私たちは落ち葉のとても多い登山道を歩き、途中で鎖の垂らされたルンゼ状の斜面を登った。その後に北西方向の道を歩いていくと、表妙義縦走路との分岐へ出た。左手に立ち入り禁止を意味するトラロープが張られており、これを超えて星穴岳へ向かうのだ。
その手前で男性と女性の二人組パーティーに遭遇した。二人ともヘルメットを被り、腰から登攀装備を下げている。星穴岳を目指しているのかと思いきや、どうやらそうではないらしいことが、二人の会話から伺えた。
「こっちは筆頭岩じゃないみたいだね」
「このままだと星穴岳へ行っちゃうよ」
筆頭岩は駐車場から見て反対の方角にあるから、彼らは途方もない道間違いをしているらしい。車を降りて最初の一歩から、すでに間違えていたということになる。男性の方が思いついたように言った。
「ということは、筆頭岩と星穴岳、どっちも登れるということか!」
彼は大変ポジティブな性格のようである。
「いや、時間的に厳しいんじゃないの」と女性が言った。私は彼女がポジティブでなくてよかったと思った。
「そうか、じゃあ戻りましょう」
彼らは私たちと挨拶を交わして、さっさと駐車場の方へ引き返していった。
その後は稜線上を進んでいくので、私たちの目線は木々の上に出て、次第に景色が望めるようになった。東の方角から声が聞こえた。そちらを見ると、鋭い岩の頂上から人が手を振っていた。よくもあんな危ないところに登ったものである。たぶん頭がおかしいのだろう。私たちは手を振り返した。みずきさんが「やっほー!」と叫ぶと、声が周囲にこだました。どこもかしこも岩峰だらけなので、音が反響しやすいのだ。
木々の間をしばらく歩くと、斜度の大きい岩壁が現れる。よく陽の当たる場所で、足元は埃っぽく、壁は乾いていた。ここは過去の記録でもロープを出している例が多い。みずきさんのビレイのもと、パイセンがリードをして登った。岩壁には中間支点用のボルトがいくつも打たれていたので、一番下のボルトでゼロピンをとった。
壁を登って細い尾根を進むと、西岳の頂上に出た。標識等は見当たらない。
私たちの前方、西側のはるか下の方で、別のパーティーがロープを出しているのが見えた。赤いジャケットと青いジャケットを着た二人組である。私たちは特に意味もなく、「あそこに人がいるね」という会話をした。その時は、後で彼らと関わることになるとは、誰も予想していなかったのだ。
西岳の南側及び西側は100メートル以上切れ落ちた絶壁である。そのため北側の比較的緩やかな面を懸垂下降で下りていく。日が当たりづらいためか、地面はやや湿っている。50メートルロープ一本では下りきることのできない距離のため、2本のロープを結び合わせて使用した。谷地形の下までは下りきらずに、適度なところで西側の斜面へ取りつくとよい。
そこで私たちは木の幹に巻かれたスリングとカラビナを見つけた。スリングには名前が書いてある。状態が奇麗だから、残置されたばかりなのだろう。ここに巻かれている必然性はないし、先に持ち主がいるかもしれないので、拾っていくことにした。
斜面を進むとすぐに鞍部に乗り上げたので、今度は南側に回り込んだ。その先で高度感のある崖に横から突き当たった。トラバースをしなければならないが、足を滑らせたら止まらないだろう。我々はパイセンにフィックスロープを張ってもらい、一人ずつ通過した。その後に迫力のある岩峰の直下にたどり着いたが、星穴岳はこの岩峰の向こう側にあるのだった。
岩峰を南側から巻いて、私たちは星穴岳へと向かった。手がかりが多いものの、あまり落ちたくないような壁に出た。上部の様子がわからないため、パイセンが念のためにロープを出して登る。後続の三人はアッセンダーをはめて登高した。その壁の上が、星穴岳山頂へ続くリッジの基部であった。ここがかの有名な空中懸垂の舞台のようで、南北両面の崖に強固な支点が設けられていた。一般的には明るい南側の支点が用いられている。記録によると北側からも下りられるが、その場合、下降後に射貫き穴を通じて南側へ抜けられるようになっている。我々は射貫き穴の真上に立っているのだ。面白い構造だなと、私は思った。どうして穴が開いているのだろう。
足元の細い灌木に、スリングで固定した二つのザックがデポされていた。私は山頂直下の岩稜を眺めた。落差は20メートル程度に見える。てっぺんに先行パーティーの一人が立っていて、折しも懸垂下降用のロープを投下しているところだった。
私たちは彼らの下降を待つ間、ここで休憩をとることにした。良い天気で、気温は快適だった。私は持ってきた菓子パンを食べた。実に感動的なおいしさだ。こいつは家の近所のパン屋で夕方まで売れ残っていたもので、私が買わなければ廃棄されていたかもしれない。彼は無事に救出され、おまけに懸垂下降まで体験することができたのだ。
先行パーティーの二人が山頂からの下降を終えて、私たちの側を通過した。彼らのジャケットの色からして、西岳の山頂付近から見えた二人組のパーティーであることがわかった。みずきさんが後ろを歩いている赤い服の男性に声をかけた。彼のハーネスに付いていたスリングに名前が記されていて、その名前が、先ほど拾ったスリングに書かれていたものと同じだったからだ。みずきさんはスリングとカラビナを返却した。「ありがとうございます」と男性は礼を述べた。それから先頭を歩いていたもう一人の男性の方を指さして、「彼が忘れていったんですよ。きちんと見ていないからだ」と言った。
私は隣で聞いていて、それは忘れてしまった男性にだけ言えばよいことであって、私たちに言わなくてもてもいいのに、と思った。どちらが落としたかなんて、我々の知ったことではないからだ。私は、彼らがパーティーとしてうまく連携が取れていないのではないかと勝手な想像をした。
彼らとすれ違い、ようやく私たちが山頂へ登る番がきた。まずはパイセンがロープを結んで頂上への岩稜をよじ登った。この岩稜は垂直に近いが足掛かりが多く登りやすい。続いて私、みっつ、みずきさんの順にアッセンダーを用いて一人ずつ山頂へ着いた。両サイドが切れ落ちた山頂の最奥に「星穴岳」と書かれた可愛らしいプレートが置いてあり、滑落してしまわないようにカラビナで枝に確保されていた。
私たちは集合写真を撮った後、各々セルフビレイを取り、みずきさんが持ってきた生ハムと柿を食べた。彼女の提案により柿に生ハムを巻いて一緒に食べた。実に感動的な美味しさだ。塩辛さと甘さが融合して新しい味が開拓されたという感じがした。柿が熟しすぎていたので、もう少し固い柿を合わせればさらに相性が良くなるだろう。下界には桃に生ハムとチーズを巻いた食べ物があるが、これはその簡単なバリエーションというわけだ。さすがはみずき選手、登山だけでなく食事においても挑戦の心を忘れないようである。
時刻はすでに14時半を回っていた。私たちはすぐに山頂から下降することにした。山頂の端まで戻ると、下方の空中懸垂支点のポイントで、先行パーティーがロープを扱っている様子が見えた。理由は不明だが、とても時間がかかっているように見える。パイセンは下山時刻を気にしていた。
「長く待たされる場合、私たちは空中懸垂をせずに、来た道を引き返すことも考えておきましょう」
第三章 懸垂支点の上と下
15時前に、私たちはみずきさん、みっつ、私、パイセンの順序で山頂からの懸垂下降を行った。空中懸垂支点の辺りに、先行パーティーの青い服の男性(以下Bさんと記述)がまだ立っていて、崖下に向かって声を張り上げていた。彼は「110番をすればよいですか」と言っていた。先に懸垂下降をした赤い服の男性(以下Aさんと記述)が、崖の下から110番通報をするように求めたが、上にいたBさんは実際に110番通報をしてよいのか判断に迷っているという状況であった。Bさんはみずきさんの方へ近づいてきて助けを求めた。最後に山頂から下降したパイセンがBさんの元へ向かい、彼と少し話をした。それから全員に対して次のように共有された。「状況がわからないので確認に向かいます。皆さんはここで待機していてください」
みっつと私は山頂の支点から回収した頂のロープをパイセンに受け渡した。パイセンとみずきさんが無線を持ち、崖の上と下で連絡がとれるようにしておいた。
パイセンが下降した後、空中懸垂支点のすぐ上にみずきさんがおり、そこから少し離れてBさん、みっつ、私の順で並んでいた。狭い稜線の上だから、不用意に歩き回りたくない。Bさんのスマホに何度も電話がかかってきて、次の内容を繰り返していた。
・Aさんが懸垂格好に失敗したが、崖下の状況がわからないこと。
・110番通報をしようとしたが。後続パーティーの人が状況の確認に向かっているため保留していること。
・進捗があればこちらから連絡すること。
・スマホのバッテリーが切れそうなので、連絡を控えてほしいこと。
一連の通話の後、すぐ後ろに立っているみっつが不安を和らげるように声をかけると、Bさんは「ご迷惑をおかけしてしまい、すみません」とおっしゃった。みっつが優しく声をかけ会話したことによりやや緊張が和らいだように見受けられた。また、お詫びの意味でお菓子をくださる素振りを見せたので、私は「今後必要になるかもしれないので、ご自身で持っていてください」と言って断った。体が冷えてきたので、みっつがダウンを着込んだ。私もそれにならい、みっつがBさんにも保温するように勧めた。この時の会話で、彼らが山岳会に所属していて、Aさんがベテラン、Bさんが経験の浅い方であり、BさんはAさんに連れてきてもらっている立場であることがわかった。普段はこうしたバリエーションのルートにはあまり行っていないとのことであった。
無線にてパイセンより、次の人が下降するように指示があったので、先頭にいたみずきさんがみっつに無線機を渡して下降した。
みずきさんの下降後に、パイセンより無線にて、次の人が下降してもよいことと、その後でも構わないので、ロープを落としてほしい旨の連絡が入った。支点にはロープが2セットかかっている。みっつと私で話をして、みずきさんが下降に使用したと思われる頂のロープを使って下降するべきだと認識を一致させた。ロープを落とすのは後で考えることとした。先頭にいたBさんに頂のロープで下降するように伝えた。
Bさんが懸垂下降の準備を終えた時、みっつが、Bさんが彼らのパーティーのロープを使用して下降しようとしていることを発見し、急いで制止した。みっつがパイセンに改めて無線機で連絡し、頂のロープで下りることで間違いないかと訊ねた。しかし返答があるものの、冒頭の言葉が切れてよく聞きとれない。みっつが、無線機のスイッチを入れてから少し間をおいて話すとよいことに気づき、そうしてもらうように下の人たちに伝えた。そのうえで再確認の応答をして、ピンク色のロープを落とすように、と言っていることがわかった。
この時、支点にかかっているのは結び合わされた赤と青のロープと黄色のロープの三種類であり、黄色のロープにはピンク色の模様が入っていた。純粋にピンク色のロープは見当たらなかった。下の人たちの言うピンク色のロープというのが、みずきさんの赤いロープのことを指しているのか、ピンク色の模様の入った黄色のロープを指しているのか、その他のロープを指しているのか判然としなかった。そのため上の二人の間で、やはりロープを落とすのは保留にしようということになった。状況からして頂のロープを落とすことは考えられないので黄色いロープを落とせばよいと思われたけれど、ロープを落とすのは取り返しのつかない作業のため、みっつも私も慎重になっていた。まだその時には、黄色いロープが崖下で切断されていることを、上の3人はわかっていなかった。
私はBさんの隣に移動して、Bさんに対し、セルフビレイをとり、ロープを頂のものに付け替えていただくように頼んだ。Bさんは混乱しており、どれが自分たちの持ってきたロープなのかがわからなくなっていた。黄色いロープを頂のロープだと勘違いしているようだった。さらにロープを付け替えている最中にスマホに電話がかかってきたため、焦りが生じ、急いで下降しようとする様子を見せた。ロープに通した確保器をハーネスに付けずに下降しようとしため、制止して装着させ、バックアップが利いていることと確保器が正しくセットされていることを触って確認した。確保器とバックアップを共にビレイループにつけていて、操作がしづらそうに見受けられた。「普段からこのやりかたで懸垂下降をしていますか」と聞いてみると、普段からこのやり方で下りているとの回答を得たため、それなら問題ないです、と伝えた。そうしてBさんは下降した。
パイセンから「次の人降りてください」と連絡が入ったため、次はみっつが下降することとなった。二人で懸垂のセットを確認してからみっつは私に無線機を渡して下降した。
彼女が下りてすぐに、パイセンから無線で私に連絡が入った。ロープを引いてみるので、その後に、降りる前に連絡をしてから下降してくださいとの指示だった。頂のロープが引かれるのが確認できたので、無線で「これから下ります」と伝えた。Bさんほどではないにしろ、私もとても緊張していた。崖の下がまったく見えないのが怖かった。焦りもあって、誤って一度ロープの結び目の上に確保器を取り付けてしまい、再度付け替えた。それから下降したが、バックアップを強く効かせすぎたこと、下降のやり方が未熟であったことなどから、下りるのにひどく時間がかかってしまった。空中の下部までくると、パイセンが壁の方向にロープを引っ張ってくれた。
地面まで下りると、射貫き穴の前にAさんが疲れた様子でうずくまっているのが見えた。彼は腰のあたりに手を当てて、Bさんに対し、腰の痛みと胃液の逆流した不快感を訴えていた。
……私は後になって、空中でのAさんの状態と、パイセンのとった対応を知らされた。Aさんは空中懸垂に失敗し、地上から7メートルほどの場所で宙づりになり動けなくなっていた。ハーネスのレッグループが膝の辺りにずれ、頭を下にした状態でぶら下がっていたのである。ロープにはスリングが付いていて、アブミも作られており、登り返しを試みて力尽きた形跡があった。宙づりの状態で、すでに30分程度が経過していたようである。パイセンはAさんの隣まで下降して、互いのハーネスのビレイループを安全菅付きカラビナ数枚で連結させた。それからAさんが自身のナイフでロープを切断した。Aさんの体は50センチほど落ちて、ハーネスを介してパイセンにぶら下がる形となった。パイセンは頂のロープを用いてAさんと共に地上まで下降した。
第四章 神社への下山
私が空中懸垂を終えた頃には、西の空が激しい夕焼けを帯びて綺麗だった。まだ爽やかな青さの残った空の下を雲がたくさん流れていて、赤く眩しい太陽の光が映っていた。光は雲を通して散らばっていて、それがいっそう空の全体に鮮やかな感じをもたらしていた。色とは、壊れた光である。空は次第に薄暗くなっていく。我々はヘルメットにヘッドランプを付けた。
私たちがいるのは、星穴岳の絶壁の中央にあるテラス状の土地だった。そのためこれからもう一度、50メートルの懸垂下降をしなければならない。初めにパイセンが無線機を持って下降して、みっつ、私の順で後に続いた。下に降りると、パイセンからロープに関する話があった。「全員が下りた後、もしロープを引いて回収ができなければ、今日はロープを残して下山します。その場合、ロープは後日回収することにします」
私の次にAさんが自力で懸垂下降を行った。パイセンが先ほど、ロアダウンでAさんを崖上から引き下ろすことを提案したが、彼は断ったのであった。Aさんは疲労のためか、ゆっくりとではあったが、問題なく下降を終えた。
パイセンから今度は神社へ電話をかけるように依頼があった。私たちが車を停めた駐車場は17時に閉鎖されてしまうが、残されている車がある場合、警察へ連絡がいってしまう可能性があるからだ。私は神社へ電話をかけ、駐車場に車を停めているが、今日中に回収するので了承いただきたい旨を伝えた。「駐車場を管理しているのは私たちではありませんが」と神社の方はおっしゃった。「私の方から、管理されている方へ連絡しておきましょう」
Bさんが下降している最中に太陽が沈んだ。それは我々の頭上の岸壁が一気に暗くなったことではっきりとわかった。みっつが無線でみずきさんに対し、忘れずにヘッドランプを灯して下降するように伝達した。そのため最後に彼女が岩壁を下りてくる様子は、流れ星がするすると落ちてくるように見えた。時刻はすでに17時を回っていて、辺りは真っ暗になっていたからだ。
とにかく全員が無事に下降を終えて、ロープの回収にも成功したので、私たちは一安心した。ここから先にはロープを使う箇所はない。AさんとBさんは「もう大丈夫です。ありがとうございました。ここからは自分たちで下りられます」とおっしゃった。そこで私たちは彼らと別れて下山を急いだ。落ち葉が多いのでよく滑った。しかし踏み後が明瞭でピンクテープも豊富だったので、気をつけて歩けば迷うことはなかった。
18時半ごろに中乃嶽神社まで到着した。行きで登った急な階段を今度は駆け下りた。駐車場に残っていたのは私たちの車と管理人だけだった。彼は我々が戻るまで駐車場を開けて待っていてくださったのだ。私たちはハーネスやヘルメットを外す間もなく車に飛び乗った。駐車場を出るとすぐに、管理人が入口を鎖で閉ざした。
第五章 ギオットーネにて
我々は空腹だったので、どこかで食事をしようということになった。近くにあるギオットーネというレストランがとても美味しくて、頂の会員にも人気があるということなので、そこへ行くことにした。ある頂の会員はギオットーネを評してこう言った。
「私はコスパという言葉が嫌いですが、ギオットーネはコスパがよいと言わざるを得ません」
店の前の駐車場に着いたところ、外の暗がりに何人か人が立っていた。やはり人気の店だから混雑していて、今日は入れないのではないかと思われた。そこでみっつが車を降りて走って偵察に向かったところ、入店できるとのことであった。店の中へ通された私たちはびっくりした。奥の席に出川哲郎さんが座っていたからである。この店でテレビ番組の撮影をするために、スタッフ達と共に訪れていたのだ。
我々は彼らから少し離れた位置の席についた。私はもっとも一般的と思われるコースの料理を注文した。サラダ、パスタ、ハンバーグ、デザート等、色々と料理が出てきた。どれもが実に感動的な美味しさだ。食事中に金額のことを考えるのは、はしたないけれど、こんなに素晴らしい料理がこのお値段でよいのでしょうかと思ってしまった。
パイセンが紙ナプキンに絵を描いて、先ほどAさんをどのように救出したかを図説してくれた。「ロープはすごく簡単に切れるんですよ」とパイセンは言った。
私たちがコーヒーを飲んでいると、テレビ番組の撮影が終了したらしく、スタッフが各テーブルを回りだした。撮影した映像に姿が映ってしまかもしれないが、よろしいでしょうかと訊ねている。出川さんもスタッフと共に他のお客さんと会話をしたり、写真を撮ったりされていた。みっつがどうしても出川さんと写真を撮りたいと言うので、私たちもスタッフの一人に声をかけて写真を撮ってくれませんか、とお願いをした。するとスタッフも出川さんも快く応じてくださった。パイセンもこの時ばかりは身だしなみに気を配り、薄汚れたトレーナーを脱いで撮影に臨んだ。
写真を撮っていただいた後、出川さんがパイセンに「お父さん」と呼びかけて、パイセンが「いえ、違います」と言う一幕があった。スタッフの方から、皆さんはどういう関係の方々なのですかと訊かれたので、みずきさんが「山の仲間です」と答えた。それで出川さんもスタッフの方も、小奇麗なイタリアンレストランにいる我々がなぜこんなに汚らしいのかという謎について、理解された様子だった。ようするに、なぜみずきさんの髪がアメリカのヒッピーのようにぼさぼさなのか、なぜみっつの頭に一輪の花ではなく枯れ葉が刺さっているのか、なぜパイセンの着たTシャツがこんなにボロボロで、肩の辺りに大きな穴まで空いているのか、といった事柄について。
私たちは満腹感のなかで、遭難者が救助され皆が無事に下山した喜びと、有名人に遭遇した驚きの入り混じる奇妙な感情に包まれながら、ギオットーネを後にしたのである。
各自の感想
みっつの感想
紅葉の鮮やかさに感動した山行でした。と、言いたかったけれども、懸垂もあり、ちょっと困っている他パーティーにも出会い、実践を通して学びの多い山行となりました。
みずきの感想
ほんっとうに出来事が多すぎて頭の整理に時間が掛かりました。翌週の火曜日現在も仕事中にふっと思い出します。
ただ、思い出す内容がちょっとずつ変化してきました。
山行直後は星穴の山頂を下りてから大穴に全員が下降し終えるまでの一連の流れ。
自分のパーティーが当事者だったらあんなに落ち着いていられないだろうな、もっとロープの扱いに慣れたいな、とか反省中心。
今思い出すのは、みんなの懸垂下降を待っている間に見ていた夕焼けに焼かれて真赤な岩壁と青い空、日がすっかり落ちた後の“怖い”と“心地いい”の間くらいの静けさ。
いやーやっぱり、山っていいなぁ...。
パイセンが真剣な面持ちで今後の手筈を考えている脇で、景色を堪能していたことを思い出しました。
パイセンの感想
星穴岳は適度に高度感があり、適度にやさしい山で、くだりもあまり時間がかからないはずの山でしたが、ひょんなことから遭難救助をすることになり、新人3人の冷静な対応に感心しながらヘッデン下山。
穴の下で懸垂下降をしているみんなを待っているときに見た太陽はきれいだったな。
いちたからの応答
みっつの言うように実践的な学びの多い山行でした。もしパイセンがいなければどうなっていただろうかと考えると恐ろしいです。今だから楽しかったと言えるけれど……。
ブログを書いている最中も色々なことを考えました。山の美しさと恐ろしさ、確実な技術とチームワークの重要性について。それから、人の記憶の曖昧さや、経験と言葉の間にある大きな断崖についても考えました。
ちなみに、私はもっと素早く空中懸垂をすることもできたのですが、皆さんにぜひとも、美しい夕暮れを堪能していただきたいと思い、その優しさから、あえてゆっくりと優雅に下降したのであります。