涸沢岳西尾根~奥穂高岳

2014-05-06

02_残雪期 08_アルパインクライミング l_北アルプス

Date : 2014/05/03-05
Member : ちえ蔵、まり、組長
Timeline :3日 新穂高ロープウェイ0814~1003白出沢出合1020~1350【2500m】付近テント
4日 テント0445~0504JP~0531蒲田富士~0555F沢のコル~0751涸沢岳頂上~0813穂高岳山荘0840~0925奥穂高岳頂上~1030穂高岳山荘~1155涸ヒュッテ1251~1445横尾
5日 横尾0730~上高地


GWはやっぱり北アルプスで決まり!!!



厳冬期に太刀打ちできなかった北アの稜線も、5月になれば、我々庶民に??手が届く山域になる。
この時期は日も長いから山のぼりにはうってつけ。今しかないね、雪の北アルプス。

前日。
あわただしく帰宅して、都内集合。てりやきマックバーガーをほおばりながら、夜の首都高へ・・・。
さっそく、渋滞・・・。中央道に入っても渋滞・・・。そのまま八王子まで渋滞30㌔・・・。
恐るべし、GW後半4連休。前夜初で初っ端から渋滞30キロとは・・・。
みんなで運転を交代しながら、6時間ほどかけて沢渡に到着。沢渡に向かう道は早くも延々とくるまが連なっている・・・。恐るべしGW後半4連休。
新しくなった沢渡のバスターミナルに涸沢に向かうogratさんをおろして、我々3人は新穂高温泉の無料Pへ。もう空が明るくなり始めておる。


早くも車は多かったが、良い場所に停められた。
車中で窮屈に3人に仲良く2,3時間ねんねして、出発。ロープウェイ駅には西穂見物の観光客が早くもロープウェイに乗り込んでいる。雪山は見るもんでなく、登るもんだ!!

よいしょっと重い荷を背負って蒲田右俣林道を行く。4人用テントにロープと・・・、がんばっちゃってる僕のザックはたぶん20~25キロくらいかな。パーティーで荷物分担できるっていうメリットはゼロ・・・笑。でも、重い荷物、嫌いじゃない。

林道には雪がない。砂利道をだらだらと歩く。のどかな穂高平山荘で一服し、白出沢を目指す。
白出沢出合には2パーティーほどの皆さんが休憩中。
・・・と、ふいに地震が。。。
それも体に感じられる比較的大きな地震だ。3日は、飛騨地方で地震が頻発したそうだ。焼岳噴火???なんかと憶測も流れたそうだが、どうやら関係ないらしい。
ともかく情報量の乏しい山中でこうも地震が頻発するのは本当に怖い。それも短い間隔で発生している。白出沢ではおそろしい落石の音が木霊していた。

涸沢西尾根へは、白出沢を渡り尾根状に上がってからとりつく。最初から赤テープいっぱいで迷うはずがない。
1800mまでは樹林帯の急登が続く。ところどころに腐った雪が乗り、滑りやすい土と藪を漕ぎながらの登高は、正直、面倒くさい。ここ下山するの面倒くさいなぁ。。涸沢に抜けちゃおっかな・・・なんて考えだす。

取りつきから胸突き八丁の急登
 先行3人を抜かし、1800平坦地で休憩。ここはたくさんテントが張れる。引き続き地震頻発。ドコモがつながって情報収集。ケータイを見せてあげた後続パーティーのおっさんが、震源が飛騨地方ときいて「じゃー大丈夫だ」。おっさん、何を根拠に言ってんだ???

1800平坦地を過ぎると、再び樹林帯の急登。2400まではずっとこの調子。ある意味、西尾根の核心。。。
午後は気圧の谷が通過するということで、良かった天気も下り坂に。

2400付近が一般的に幕営適地と言われているが、もう少しいい場所を想像していたのもあって、なんとなく通り過ごす。
先行3人に追いついた時点でテント2張りがあった。さらに上を眺めると、どうやら上にもまだ複数パーティーがいるようだ。これ以上うえには幕営適地はないから、ここらで張ろうということで、雪の斜面を切り出す。まあ、つまるところ雪がしっかりあればどこだって快適な幕営地になるってもんだ。
和式トイレ付、防風ばっちりのホテル涸沢西尾根を完成させた。

今日はいい夢見れそうだ
 地震が止まらない・・・。
巨竜の背にへばりつく僕らは、どうか怒りを鎮めてくださいと、祈ることしかできない。
耐震性ゼロの我らが防風壁は、地震でもろくも崩れ去った・・・笑。
耐震性ゼロ・・・
 夕方になると次第に天気が良くなり、眼下に槍平小屋、西鎌の稜線、双六や黒部方面、笠が岳までの稜線が雄大な姿を現した。
南岳~大喰岳。槍は大喰の後ろで見えない。

平和な夕暮れ
夕食の、ちえ蔵さんのハッシュドビーフは格別だった。またこれ作ってください!!
テントでしばし作戦会議。どうやら5日は朝から天気が崩れるらしい。5月といえどもひとたび荒れると冬に逆戻り。山が怖い僕は、そんなときに稜線にいたくない。じゃあ、ここから空身でピストン??
でもあの滑りやすい樹林帯の急登をまた下るのは、少々気がめいる。
ということで、涸沢岳から奥穂高岳登頂後、涸沢方面に下山することにした。順調にいけば、横尾にたどり着くだろう。雪のしまった、日の長いこの時期なら、時間的にも十分に余裕がある。

地震に覚えつつも、日ごろの睡眠不足を解消すべく、爆睡。

翌朝は2時30分起き。
まだ外は昨日の夜の続き。新しい日の始まりに向けて、静かに山々が控えている。
定番塩ラーメンを喰らい、日の出前の西尾根を攀じる。硬い雪の急登を笠が岳の雄大な姿に見守られながら息を切らして登ってく。

JPにはテント3張り。先行していた防衛大のパーティーと、西穂まで抜けるというベテラン4人組。
JP上は吹きっさらしだが、それを気にしなければ、展望良い幕営地。奥穂高岳~西穂の急峻な稜線が、鋭角に空を切り取っている。

防衛大の若者が先行した。計9人。みなが声をだしてあいさつしてくれる。今日は奥穂高岳をピストンするそうだ。厳冬期にこの尾根に挑戦するための偵察だそうだ。後方のサブリーダーらしい学生が長い旗竿を背に抱えている。迷いやすいといわれる下降時の目印にするのだろう。


JP手前から森林限界。背後に双六、黒部五郎、などなど



防衛大のテントがあるJP。右下の尾根末端から上がってきた

西穂
 蒲田富士直下の急なルンゼで防衛大Pに追いつく。ここは雪の付いた部分を直上する。傾斜はきついが雪がしまっていて登りやすい。その上、フィックスロープがある。信用するかどうかはその人次第・・・。
蒲田富士にとりつく防衛大P

蒲田富士直下
 

フィックスあり。下降時はラッぺルのほうが楽だ
蒲田富士からはきれいな雪稜だ。
朝日に向けてのびる天の道を歩む。



右にのびているのが涸沢岳

背後には笠が岳や・・・

西穂~奥穂の稜線

F沢のコルまではナイフリッジ

雪山の醍醐味
 F沢のコル手前で防衛大Pを抜かし、F沢のコルで休憩。
ここからは、正面の岩場の間の雪の詰まったルンゼを抜け、左上して急なルンゼから尾根上に上がるか、雪壁をそのままトラバースしていくか、になる。雪の落ち着いていな時期は、雪崩の危険が高いから、後者はNG。
ちえ蔵さんとまり姉さんが休憩中に、ルンゼの状態を偵察。早朝の良く締まった雪は、ピッケル・アイゼンがよく効いてとても登りやすい。
稜状の岩場にはフィックスが見えたが、岩場と雪壁のコンタクトラインを右上することにした。
傾斜はそれほどきつくなく、アックス決めてアイゼン決めてのリズミカルで楽しい雪壁登り。背後には雄大な眺め。残雪の北アはやっぱいい!!
中央ルンゼから岩場を左に回り込む

回り込んだ後




ジャンダルム~西穂
 再び稜線に戻ると、目の前に滝谷の圧倒的な岩壁が迫る。昨年9月に中止になったドームがそびえたっている。こうやって見てみると、こんなとこ登れんのかって、不安になる。
ドーム中央稜

大キレット
 






 ここから頂上までは、稜線を絡めながら長いトラバース。ニセピークもいくつかあって、意外と長い。



滝谷すげー



奥穂~ジャンダルム

頂上までの雪稜


涸沢を覗き込むとテントがすごい

ようやく頂上
 なんだかんだで防衛大も抜け去って、一番で頂上へ。頑張って上がってきた我々と、反対側の山荘側からナップザック一つで快適に上がってくるおっちゃん。まあ山荘側からは誰でも登れるんだけど、なんか雰囲気崩れるなぁ・・・。


お疲れ様
山荘を見下ろすと、、、
人、人、人・・・
もうやだ。


ひと~

奥穂・・・

奥穂頂上

ジャンダルム

上高地

前穂~明神

奥穂頂上

常念とか

帰りはもっとひどい・・・

恐るべしGW後半4連休

小豆沢を下山。前穂北尾根がきれい
 

もうやだ
涸沢への下山中にogratさんと出会う。今日は北穂と奥穂のピストンらしい。すげーなー。
あす朝横尾で集合ということを約束して別れる。

安全地帯の横尾で、ビール飲んでつまみ食って、眠くなったから寝て・・・。
目が覚めたら、夜ごはん食べて、また眠くなったから寝て・・・。

翌朝は、雨。まあ予想とおり。だからこそ横尾まで降りてきたんだ。
仕方ない。

のんびり上高地まで下山する。

そんで、秘湯坂巻温泉に入って、松本市内の有名な洋食屋さんでクリームコロッケ平らげて、激込みの中央道を6時間くらいかけて帰った。。

涸沢西尾根は、自分たちの実力としてはチャレンジングな計画だったわけだけど、実際は、少し物足りなかったかな??でもそれは困難度という点で。登山ルートとしての面白さは景色の美しさは1級品。ちょっと人が多かったけど、雪の穂高を満喫できた。

最後に、
このたびの登山で、相前後して涸沢西尾根を登っていた防衛大のパーティーが、5日午前中に涸沢西尾根2200メートル付近から滑落し、先頭の学生とその捜索に当たったコーチがなくなったそうです。
亡くなった学生はおそらく終始先頭を歩きリーダーの上級生と思われる方。彼とは、JP付近やF沢のコルで会話を交わしました。雪壁の状態を僕に丁寧に尋ねた彼は、「しまっていて快適だよ」と教えると丁寧にお礼をして、改めて自分の目で確認しに向かいました。真面目そうなとてもよい青年でした。
彼らは、厳冬期のこの尾根に挑戦するための偵察にきていたといっていました。終始、慎重な行動で山に対する真摯な姿勢がうかがえました。奥穂山頂でも、3人しか登頂しませんでいたが、たぶん、混雑する山頂に大人数で登頂したら迷惑がかかるだろうというリーダーの判断で3人を選抜したのでしょう。
昨今問題になっている、無謀な登山者と違って、彼らは十分に計画を練って、練習をして臨んだのでしょう。
同じ岳人として、おなじ日に同じ山を目指した同志として、本当に心が痛いです。

彼らが事故を起こした2200メートル付近は、とりわけ滑落の危険が高い場所ではありません。しかし、ひとたび足を滑らせれば、重大な事故に至る可能性はあります。おそらく急傾斜の樹林帯を滑落してしまったのでしょう。
山登りとは本来的に危険な行為であることを再認識いたしました。

心よりご冥福をお祈りいたします。

(組長)


このブログを検索

人気の投稿

最近の投稿

Archive

QooQ