Member : あ~り
Timeline :
ヨーロッパアルプスのモンブラン登山の報告です。
はじめに
フランスのモンブランはヨーロッパアルプスの最高峰で、標高は4810メートル。海外登山の初級で登竜門と言われたりする。ちなみに、ヨーロッパ大陸の最高峰はロシアのエルブルース山で、標高5642メートル。富士山もそうだが、標高が高い山が比例して難しいわけではなく、有名なキリマンジャロ山は、標高5896メートルとかなり高いがルート的には普通でやさしい。モンブランは1年を通して雪に覆われ、4000メートル以降は、アイゼン、ピッケル使用なので、総合レベルでいうとキリマンジャロと同じくらいかもしれない。
モンブランはフランス南部のシャモニにある。アクセスは隣接するスイスから入った方がいい。登山予定日の5日前にスイスチュリッヒに入国。まずスイスアルプスでトレーニングを実施した。
8/16
スイス第一級の観光地であるグリンデルワルトへは3時間くらいで到着。そこからローブウェイに乗って2700メートル付近で快適ハイキング。アイガー北壁なのどの絶景をみながら、のんびりと5時間くらい歩く。
8/17
ここからがトレーニング山行で、ユングラフ3山の1つ、メンヒ(4099m)の登頂を目指した。本には、入門レベルで5~6時間で往復できるらしい。ガイドを雇う予算(4万)もなかったので、『まあ、ソロでもいけば余裕で何とかなるだろう』と思った。が、結果は余裕で登れなかった。
登山電車の終着3500m付近のユングウヨッホを出発し、大氷河を前方に見ながら40分ほど歩き、登山口に取り付く。いきなり急な傾斜の岩稜がはじまった。かすかな踏み後があるのだが、目印がなくルートがよくわからない。登山者も見当たらない。最近、沢のぼりばかりしていたので、乾いた岩に対して抵抗を感じたりもした。それでも、慎重に見極めながら200メートルはなんとか登ったが、さらに岩稜の高度感と単独ゆえの緊張感がましてきて、ちょっと無理だろうと思ってきた。すると、上から初めて1グループとすれ違う。アンザイレンをしていて、かつ完全アルパイン装備の彼らを見て、さらに不安になりあえなく撤退を決意した
8/18
メンヒで思わぬ敗退を喫した小生はスイスアルプス打倒をはたすべく、4時間かけツェルマットへ移動してブライトホルン(4164m)を目指すことにした。有名なマッターホルンの近くにあって、ここもスイスアルプス入門と言われている。3900メートルの登山口へはロープウェイで到着。メンヒと違って、大勢のグループがいて、天気は快晴。山頂までのルートがはっきりわかる。高度順応が目的なので、ゆっくりと歩き、それでも2時間30分くらいで山頂に到着した。
8/19
この日は移動日でスイスから列車を乗り継いで、フランスのシャモニに到着。早速、市内のスネルスポーツという山の店内で、日本人スタッフの神田さんとにモンブランの情報を聞いた。この方はシャモニにたしか20年位在住。オビワンさん似のとても気さくな人で、本当に親身に対応してくれた。情報を総合すると、私が着いた前日に、確かバリエーションルートで日本人が1人滑落死亡。一般道でも、今年は3人くらい死亡しているだとか。日本人はモンブランを富士山の延長上位に思っていて、なめすぎている。天気が悪化したら吹雪くので、防寒は完璧に等。なかなか刺激的な情報をいただいた。その後、お世話になるフランス人ガイドと、打ち合わせ。実は、天気が崩れつつあるらしい。一般的に、初日は3900メートルのグーテ小屋まで登って宿泊。翌早朝アタックして下山。なのだが天気がまだもつ初日に、無理して頂上アタックをすることになった。
8/20
朝7時15分にシャモニを出発。天気は快晴。ロープウェイ、登山電車を乗り継いでニ・ーデーグル(2372m)に到着しここから登山開始。
最初はゆるやかなガレ場をジクザクに2時間くらい歩いた。テート・ルース小屋(3167m)を横目にパイヨ岩稜の手前の取り付きに到着。ここで、ハーネス、ヘルメットを装着して、ガイドとアンザイレンをした。パイヨ岩稜を越えた頂上にグーテ小屋がある。ほぼ、一直線の急直登でなかなか緊張感があって手強かった。北アルプスの大キレット北穂高手前の登り1ランク上くらいで、確か高さ500メートルあったと思う。ここで、落石や下山時に滑落の事故が起きるらしい。少々疲れつつ12時30分に(3817m)グーテ小屋に到着。
一旦小屋内で昼食をとって午後1時すぎに出発。グーテ小屋付近から上は完全に雪上なのでここでアイゼンを装着。小屋を過ぎると、数張りのテントサイトがあった。通り際にテントにいた人と、ガイドが言葉(フランス語)をかわしていた。なんとなく雰囲気で『今からアタックは時間が遅いんじゃないか』みたい。というのは、午後は天気が悪くなるのが常で登られないらしく、この時間に出発しているのは我々だけだった。
まだ、視界は良好で、大雪原のゆるやか傾斜を登る。
大雪原を越えてから少し下ると、最後のヴァロ避難小屋(4362m)に到着。いよいよ頂上付近が見えてきた。といっても、上のほうはガスかかっていて、急なヤセ尾根が頂上に続いている。急傾斜を慎重にのぼりつつ4500m付近からガス内に突入。ここにきて、長時間のアイゼンでかかとが痛み出したりして、かなり疲れてきた。そんな事は口が裂けてもガイドには言えない。ヨーロッパのガイドは、時間が無いと容赦なく引き返すので、さらにピッチをあげるつもりで、登り続けた。ガスでほとんど視界の無い中、ヤセ尾根をひすら登っていて、そのうち傾斜が緩くなってきた。すると、ガイドが急に何やら叫んでいて、どうやらここが頂上だという。よく分からないのだが、山頂にはモニュメントは無いらしい。少し拍子抜けだったが、ついにミッショッン完了。感動といより、またここに来なくていいという安堵感だった(登れなかったら、また来なくちゃいけないと思うから)。